昭和41年01月26日 朝の御理解



 命を大事に思わないものはないのですけれども、その命を大事に、本気で大事にすると言う人は非常に少ない。大事には思うておるけれども、それを大事にしない。疎かにする。皆さんどうでしょうか、命をいらんと言う方はないだろうと思う。中にはこの事が成就するなら、もう命なんかはと言う様な、御国の為に命を鴻毛の軽きにおくと言う様な、言葉がありますけれども。
 それはそこに御国と言う、矢張りより大切なものがあっての事ですけれど、私し共にはそうゆう様なものはない。例えば、御道の信心さして頂いても、御道の為なら命も投出すと言う様な、まあ、しよる人は、まあなかろうと、こう思うです。まず可愛いいのは自分である。自分の命を大事に思う。けれどもそんなら、思うておるけれども大事にはしていないと言うのは、迂闊にしておったり、又自分の我情我欲が命を、疎かにしておると言った様な事もあるでしょう。
 あたし今度、糖尿病であると言う事が分ってから、本当にもう神様、大事にして下さる。家族の者が非常に心を、まあ細かに使うてくれます。もう今まで腹一杯頂いておったのを、まあ八分、たまには六分目位いちゅうのは、この位だろうと言う位に何時もこう押さえておる。体の調子がいいんですね。それと矢張りその、そうすりゃ確かに命の為にいいのだけれどもです、そうすると十二分、腹いっぱいどこじゃない十二分に食べたい。ああ食べ過ぎたと言うては、その命を疎かにしておった事になる訳けです。
 そう言う風な意味合いで、ならお互い命を疎かにしておる、御粗末にしておるですね。いやいよいよ、これを食べては悪いと言う物でも、もうよかよかと、もう好いた物食べて死ぬならちゅうごたるふうでその、言うなら人すらがある、こりゃまあいよいよ命を御粗末にしておる事になる。食物はみな、人の命の為に天地の神の作り与え給うものぞ、命の為に作り与えて下さっておるものだけれども、命を害する為に食物を頂いては、神様に、だから御無礼になる。
 だから甲の人、乙の人、それぞれに体質によって、違う訳である。ですから、神様はこの命の為に作って下さっておる食物ですから、命の為に頂かなければいけません。所が、命を害する為にお互い頂いている様な事はなかろうか。ああもう腹一杯頂いてから、おおかた頂きましたと。神様頂きましたと言えばよいと言うのではない。命を害する為に食べとる様な事では、私しは、おかげにならんと思う。
 いよいよ命を大事に、より命をいよいよより育つ、よい意味において育つ為に食物は、頂かなければいけません。本当にははあこの位に、家族の者が心を使ってくれ、又それに私しもそれを、素直に受けて言ったら、こら本当に命を全うしょる。神様が与えて下さった、命を全うする事が出来るだろうとこう。四神様、神が与えた命を全うする氏子は。少ないと仰ったそうで御座いますけれども。
 神様が八十までは、長生きのおかげを下さる筈のが、私くし共が、命を疎かにする為に、六十で亡くなったり、五十五で亡くなったりと言う様な事が、沢山あろうと思う。全うして初めて神様に喜んで頂くんであり、私くし共も又満足である。どうでもひとつここん所を、慎ませて頂かなければなりません。皆さん、命の為に頂かなきゃいけません。例えいかに、天地の親神様が命の為に作って下さった物であってもですよ。
 現在のあたくしなんか、あぁ、例えば生菓子なら、生菓子はもう、絶対毒だと、これは、神様が命に為に作って与えて下さっておるものなんだ、又、糖分と言うものは、普通の人間は、ときどきはとらなければその、元気がなくなると言われる位いなんです。けども、あたくしには毒なんです。だからこれは命の為に、頂かなければならんと言う事になったら、命を害する為には、こら、どんなに好きであっても、その甘い物は、あたくし断たなければいけないと言う事になるでしょいが。
 神様が作って下さったとじゃけんで、もう、有難う頂きやよかがのちゅうてから、また胃が痛むの、腹が痛いのて言わなければならんでしょうが、命の為にいけなとここん所を、私しはよく、私しは、その事を実行すると言う事だけでも、必ず信心になる事が出来ると思うんです。こうゆう命の事の為に、という食物訓なら食物訓の事をです、本気で私共が行じたらですね、それだけででもお徳が受けられると思うんですよ。命だけの為じゃない、おかげの為にも、それをしなければならないと言う事です。
 行じなければいけないと言う事です。本当に、私し共は、教えを本気で頂かないけない。よう間違える人があります。「ネェ」神様の作って下さった、食物に、あれ、これ、口上を言うちゃならん。なるほど、その、口上言うちゃならん。けどはっきり、今のあなたの健康の為には、これはいけないと言う事が分かっておるならば、その次には大食、大食は絶食の元になると仰る様にです。大食、大食ならずともです、絶食の元になる様な頂き方をしてはならないと言う事、それでは、私しは教えを行じている。
 言わば御道の信奉者とはいえないのである。ここん所を、本当に一つ、本気で行じさして頂くと言う事だけでも、それは食物だけの事、この健康の事だけなんですけれども、健康の事だけでは、ありません。その事を行として、本当に教祖の神様の御教えを、行じ抜かして頂くその上に必ずおかげは受けられると思う。これは、まあ、あたくし共の健康の上の事なんですけれども。
 そんなら、ここに信心と言う信心は、私の命だと、言う人があります。この頃中村さんが、何かお話の時にいうておられました。信心は私の命だと。実を言うたら、信心は命以上のものだと言う程に大事な、その信心をです、お互いが疎かにしておる事はないでしょうか。その信心を疎かにしておっては、矢張りお徳どころか、おかげは、もう私しはよう頂けないと思う。信心をお育て頂くと、こう言う成程神様がお育て下さるんですけれどもです。育てられてる私くし共も、いい加減な事ではいけないと言う事。
 神様が折角育てて下さろうとしておるのにです、私し共が、心から信心を縮めたり、無くしたりする様な事をしたんでは、折角神様がお育て下さっておるのだけれども、育たないじゃないですか。花も実も咲かん咲きませんよ。そこで私くしは思うんです。信心を本当に育てる、信心が育つ為にです。その信心の命を本当に大事にしなければならんと。そこでせめてこの事だけ、せめてここの所だけは、と言う様なものが、私しは、願いと言うものがひとつ、なからなければいけないと思う。
 唯おかげだけを狙っておる人もある。おかげを狙わずに、矢張りお徳を狙わないかん。と言うけれども中々それもお徳と言うても、よのみずだに、目に見える物ではないですから、それが本当なんですけれども。矢張り目に見えるおかげの方を、狙いがちですけれどもです、せめてですそこん所が相まった所の、おかげとお徳と頂いていけれる。相まった所へ狙いを置かなきゃいけん。ま、商売をするならばです。
 矢張り利益を狙わんもんはありませんけれども、利益の生ずる所の、先ず皆んなから受ける所の信用と言うものが、先ず大事でしょうが。もう信用の事なんかは考えずに。もう目先の儲かりの事だけば、考えておる様な事ではです、決して本当の私しは、商売の繁盛、商売の成功は難しいと思う。だから私しは、おかげを狙うなとは言わん。だからそのおかげに矢張り、伴う所の信用です。あすこのは確実だと。あそこのはいくらか勉強がしてある、他所のものより安い。品物が良い。
 その売んなさる人達人が忠実であると。お客さん本位であると。何んとかそこにひとつ神様、お客の信用受けられるものをです、何時も心得とかないかんと言う事。物言うちから売りさえすればよか、じゃいかんと言う事、口だけじゃいかん。信用と言うものは口で自分を宣伝するものじゃない。もうあたしゃ、あたしの方の店はお客さん本位ですからと、口で言うたってです。実際にそういう精神が、御商売の中に貫いていなかったら。結局それは、なんにもならない事になる。
 先ず信用第一だとと言う位いにしておって、あたしゃ丁度いい加減に、おかげの方も狙っておられん事はないのですから、おかげだけを狙わずに、信用と言う事を先ず、その反面ではもっておかなでればならないし、信用においてもおなじ事。私し共がですおかげ、おかげをお願い致します。おかげをお願い致しますと、言うその反面にはです、自分の信心の成長を阻む様な私しは言動、言う事行う事があってはならないと、信心さして頂いてこげなこつでよいかと、言う様な事があってはならない。
 おかげを頂き本当に頂きたいならばです。矢張りそこん所のおかげを頂かなければならない。もういよいよお互いもう、お徳を頂くと言う事の楽しみがでけて参りましたらです、もう本当におかげの事なんかは、思いません。私しは、昨日ふと休ませて頂きながら十六、七年前の、私しの信心の姿と言うものを色々思うてみた、はああの時が私しは、もうおかげの事なんか全然問題じゃなかったんだろうと、こう自分で思うです。
 そんなら、お徳を受けなならんと言う事でも、なかっただろうけれどもです。もうとに角神様が喜んで下さる事ならば。人が喜ぶこつならば。助かる事ならばだけの、あれが一念じゃなかったじゃろかとこう思う事が御座います。もう大変夏の暑い日でした。北野にお話しに参りましてから、丁度久富先生の所に参りましたら、あちらのまあ、ふた従兄弟位になられる方が、あの皆さんも御承知でしょうかね。
 古屋さんて言うて奉文さんですね。山下奉文さんの参謀をしておられた方が、金島に引き揚げて帰えっておられる。それが夫婦共胸の病いで休まれておられる。大変窮屈の中に、もうそれにあの憲兵からずっと付かれてですね、戦犯の疑いでいっておられると言った様な、難しいややこしい中に。まあ、そういう闘病生活をしておられる。是非お道の話を聞かしてほしいと言うて、あそこであの、久富さんのお母さんになられる方から頼まれましたもんですからね。あたくし参りました。
 ずうっとあの大城から金島を通って、そしてあそこは大堰になるでしょうかね、栗屋と言う所栗屋です。に参りまして、それからあのお話をさして頂いた事が御座いました。そして帰りには片の瀬に出てから、大橋を通って帰って参りました。本当に考えてみるともう本当に一銭の報酬を求めてでもなからなければです。なんでもない、もう本当に人が助かって下されば。
 だければ良いというもうとに角、あすこまで歩いて行ったらきついとかなんとかと、言う事じゃない。私しあん時の事、ちょっとこう思わして頂いたんです。私しは商売で金島の方もずうっと回っておりますので詳しいんですね。私し商売しておる時分に非常に心安い家があったんです。あの時分もう断食から断食をしておる頃でしたから、そのそこにま、懐かしいもんですからちょっと途中で寄ったんです。
 そしたらですね、もう本当私しが、やっぱり見すぼらし格好をしとったもんですから、こらもうその金でん借られちゃでけんと思われたんでしょう。私しを全然もう見知らん人としか、扱かわなかった人があるですね。私しはあん時思うて、本当に私しもう、誰でも彼でも話さなきゃならなかった時代ですから、昔話しでもさして頂いて、御信心の話しでもさして頂きたいと言う様な気持ちだったんです。
 したらそんな風でしたから、まあ私しは御水の一杯、そこで頂いてから帰えりましたけれども、人間の人情、本当に紙より薄いしとはこう云う事じゃろうかと思うた事があるんですがね。それでそんな事フット思い出さして頂いてから、本当にあの時に、又昔の縁が甦って話しを聞いておったら、今頃はあの人も、おかげを受けておっとるかも知れんけれども、人間のおかげを受けると受けないと言うのは、もう本当に紙一重だとこう思わして貰うんですね。
 古屋さんの方へまいり、古屋さんじゃない古屋のその所へ参りまして、お話をさして頂いて、それを御縁に多くの者が助かられましてですね。もう本当に、あのうおかげを頂かれたんですけれども、もうあの時分の事を今思うて見ると。もうおかげの事なんかていうのは全然考えてないですもんね。そっからと言うてうんならお徳を受けたいと、言う事でもないですけども。
 とに角人が助かりすりゃすればよいと言う。とに角お客さんが喜んでさえ下されば良いと言う商売。ここに至って来たら必ず、これはもう信用を受け様と思わんでも信用はおのずと付いて来ると思うですね。だから皆さんもです。本当にまあそう云う様な、例えば常態に置かれた時には、本気でそこん所の精進をなさらなきゃなりませんけれども。皆さんの方は矢張り、おかげも願わして貰、お徳も願わしてもらう。
 そこん所を折角おかげを願わして頂くので御座いますからです、その裏づけになる所の信心を、頂かにゃいけんと思う。 そうなると、私しはおかげが本当にそれこそ頂いても、すぐ消える様なおかげになると思うんですよ。おかげだけでは裏付けがないですから。そこで私しは思うのですがね。どうでも一つ、その自分のせめてね、まあ思うておる事が実行に表されると言う事になったら、こらまあ、立派なものですけれども。
 思うておる事とまでは言わんでもです。言うておる事位は実行しなけりゃいけませんよ。言うておる事と行いう位は一致しなければです。決しておかげは受けられん。いわゆる徳の伴のうた、信心の伴のうた裏付けのある、おかげは受けられませんよ。おかげをもし受けてもです、それは限りのあるおかげですから又消えます。せめて私しは、ここん所の信心、言うておる事と行うておる事位いはです、一致していかなければいわゆる、おかげと徳との伴い信心の伴い、信心の成長はとても望まれない。
 食物訓、食物訓によってです。私し共が、今まで私しがです本当に命を大事には思うておるけれども、命を大事にはしていなかったと。糖尿病と言う病気を言い渡されてです。初めて食物訓に本気で取り組まして頂いて、腹八分から以上事頂かないと、そして食物命の為にならない物は、絶対にとらない。命の為になる、命の為になる物だけ頂く事に決めたと、言う事をです。行じさして頂ければ、これは健康だけの事ではない。
 これは他のことでも、これがおかげになって来るだろうと、あたくしが申しました様に。信心の命においても同じ事、せっかく信心をお育て頂いておるので御座いますから。神様が、お育て下さっておるので御座いますから。私し共それに協力するところの、おかげを頂く為にですね。せめて言うことと行うことが一致する様な信心からです。おかげも頂けて来るでしょう。その、おかげにゃ必ず信心という裏付けのある所のおかげに、いわゆる動かないおかげになって来るでしょう。せめてそこんところだけを、本気で行じさして頂こうと思うんですね。
 皆さんどうぞ一つせめて、自分の言うておる事、口では巧い事言うてから、心の中では反対の事行うなう様な事に、反対な事をしておる様な事では、おかげはよし受けてもそのおかげは、うたかたの様なものです。すぐ消えて去ってしまいます。ですからそのおかげが、おかげとして、本当、身に付く様なおかげを頂く為に、信心の本当の意味でのお育てになる、信心を育てて下さる為信心を害する様なものは、もう食しない事、行わない事にしなければいけません。
   どうぞ。